2021年 08月 16日
S30ZCAR.JP立ち上げから今迄の事など |
このブログを始めたきっかけは、S30ZCAR.JPというS30型初代フェアレディZのオーナーズクラブを作ったのがきっかけでした。
出来たばかりのクラブを広めたいという事で、景気付けに始めた訳です。丁度その頃、クラブと並行して自分の車を作っていたので自然と内容はクラブ、S30、LYツインターボという鉄板ネタになりました。クラブサイトも、まずは周知だろうという事からシーマライトのZ432やサトタツZ、オレンジのZ432R、LYターボなど人目を惹く車を前面に出してクラブを盛り上げよう、みたいな感じでした。
そのクラブを作ったのが2007年の正月で、元々はS30フェアレディZオーナーズクラブ(S30ZOC)というS30Zのクラブの役員が本家のディフュージョンブランド的に立ち上げたクラブでした。昔話になってしまいますが、当時S30ZOCは運営上の理由から新規会員を募集していなかったので、折角入りたい人が沢山いるから、別にクラブ立ち上げて新規会員もどんどん受け入れよう、みたいな考えでした。ですのでS30ZOCと喧嘩別れしたとかそういう訳ではなくて、あくまでもS30ZOCと一緒に初代Zオーナーの助けになろうという事で始めたクラブだった訳です。
その後全国から賛同頂いた方々と新橋で発起人会議を開いてクラブを立ち上げました。普通、全国規模のクラブですと、地方の人間はなかなか参加が難しい。なので会報を出す必要があるんだけれど、そこまでの余力はないからWEBで完結するような仕組みを考えました。そして発起人の一人で本職のプログラマーのIさんが、DBも使える凄いサイトを作って下さって、2007年のニューイヤーミーティングにクラブブースを出展して、その場でクラブ立ち上げの総会を開いたのです。
それから、現在に至るまでの運営の苦労は非常に大きかったですが、皆さんのご協力のお陰で最初の2007年からずっと開催している富士スピードウェイのフェアレディZミーティングも年々拡大を続け、2019年のZ誕生50周年記念ミーティングでは富士で一番大きいCGパークにも入りきれない台数のZに参加頂きました。デザイナーの松尾良彦先生(故人)にも喜んで頂き本当に良かったと思います。コロナ禍のために昨年、今年と二年続けて開催出来ない事は非常に残念ではありますが、皆さんが開催を待ち望んでいる様ですので、何とか今後も続けていければと思います。
その様な訳で、このブログも当初の目的であるクラブ宣伝の賑やかしも一応は達成出来たのかなと思いますので、これで打ち切りにしたいと思います。今後は、暫くの間はFACEBOOKで皆さんと交流を深めていきたいと思いますので宜しくお願いします。
蛇足ですが私のハンドルネームFALCONについて少し説明させて下さい。このハンドルネームは、まだWin3.1の時代、皆様が電話にモデムを繋いでピコピコとNIFTY-Serveなどで活躍されていた頃からずっと使っています。良く国内最古のアルミホイールメーカーのところからのパクリみたいに思われている方も多い様ですが、この場をお借りして説明致します。私の家は三代続いたカーキチで、私の祖父は戦前に立川の飛行場で免許を取った筋金入りのドライバーでした。本当かどうか知りませんが、昔は自動車の免許を取ると飛行機の免許も付いてきたとか聞きましたが、それ位昔の話です。祖父は都内で三越デパートの配達の仕事をしていたのですが、その後徴兵され満州で陸軍の運転手を勤め敗戦を迎えます。当時は自動車の運転は特殊技能だったために危ない前線などには行かずに、軍隊では大事にされた様です。引き上げ後は職業運転手をしていましたが、あまりにも飛ばすので何某峠のハヤブサと呼ばれたそうです。私の使っているハンドルネームは、この祖父のニックネームから取ったものです。余談ですが、祖父が亡くなって遺品を整理していたら、T型フォードの整備要領書とか色々出て来ました。昔は自動車のエンジンを分解組立しないと免許を取れなかったそうで改めて祖父の生きた時代を思い深い感慨に捉われました。
その飛ばし屋の祖父の息子が私の父で、この父もまたクルマキチガイで、米軍払下げのウイリスの左ハンドルのジープ(6V)を配線を引き直して12Vにして乗り回したり、町で最初にクラウンを買ったり、やりたい放題だった様です。その息子が私で、小学4年生の時「サーキットの狼」を読みすぎたのが原因で泥沼にはまり、学生の頃は自動車部でラリー、ダートラ、果ては二輪のロードレースと、極悪な人生を歩んで来ました。もしあの時、あの悪魔の様な漫画を読んでいなかったら全く違った人生を送っていたと思います。そんな恨みがましい気持ちを察したのか或る時友人のガメ吉さんが池澤さとし先生から吹雪裕也の絵入りの直筆色紙を貰ってくれました。その色紙を見たら、何となく妙な達成感を感じて、クロスフローツインターボにも乗ったし、まあいいかみたいな変な感動を覚えましたよ。さて私にも息子がいますが、こんな道楽は私の代で打ち切りにして息子にはまっとうな人生を歩んで欲しいと願っています。
取り止めのない事を書きましたが、これでお別れです。皆様、長い間有難うございました。
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by speedshopfalcon
| 2021-08-16 11:14
| S30