2014年 11月 20日
変遷 |
近頃、何を読んでも心に入らず鬱陶しい日々を送っている。これは老いなのか、劣化なのか、心が病んでいるのか、書籍の品質の低下なのか、読み手の驕りなのだろうか。
村上春樹さんの作品は、途中までは出版された殆ど全てを読んでいた。小澤征爾先生との対談も読んだし、「考える人」の長大なインタビューも読んだ。しかし、その後の村上作品は何となく遠ざかってしまった。何故だろう。
村上春樹の作品はアフォリズム、デタッチメント、そしてコミットメントと変化したと言われる。そうかも知れない。「考える人」のインタビューの中で興味深かったのは1Q84についての下り、それとチャーリーパーカーのテクニックを誰も話題にしない(そういう文章を書きたいということ)、それと非常に興味深かったのは「国境の南、太陽の西」について村上さんが良い出来だったと悔しそうに語っているくだり。そしてあの作品が「ねじまき鳥クロニクル」の一部だったというところ。これは私にとって重要な手がかりだったのだけれど。
村上さんが「コロキアルなものが大事」と言うとき、それはそうなのだろう。そして「委ねる」という書き方。多分、自分の中で何かがその辺で村上文学とずれ出したのかも知れない。
最近、悲しいことや怒りに震える事があり、それが自分の無力さや弱さを自分自身に突きつける様な事でもあり、では読書とはわたくしの何なのか逃避なのか黙考なのか、それを含めてひっそりと考えている。
村上春樹さんの作品は、途中までは出版された殆ど全てを読んでいた。小澤征爾先生との対談も読んだし、「考える人」の長大なインタビューも読んだ。しかし、その後の村上作品は何となく遠ざかってしまった。何故だろう。
村上春樹の作品はアフォリズム、デタッチメント、そしてコミットメントと変化したと言われる。そうかも知れない。「考える人」のインタビューの中で興味深かったのは1Q84についての下り、それとチャーリーパーカーのテクニックを誰も話題にしない(そういう文章を書きたいということ)、それと非常に興味深かったのは「国境の南、太陽の西」について村上さんが良い出来だったと悔しそうに語っているくだり。そしてあの作品が「ねじまき鳥クロニクル」の一部だったというところ。これは私にとって重要な手がかりだったのだけれど。
村上さんが「コロキアルなものが大事」と言うとき、それはそうなのだろう。そして「委ねる」という書き方。多分、自分の中で何かがその辺で村上文学とずれ出したのかも知れない。
最近、悲しいことや怒りに震える事があり、それが自分の無力さや弱さを自分自身に突きつける様な事でもあり、では読書とはわたくしの何なのか逃避なのか黙考なのか、それを含めてひっそりと考えている。
by speedshopfalcon
| 2014-11-20 18:04
| 読書