2020年 07月 18日
追悼 松尾良彦先生 |
初代フェアレディZチーフデザイナー松尾良彦先生は去る7月11日午後4時16分にご永眠されました。満87歳の御生涯でありました。(一部のネットニュース等で7月12日ご逝去86歳とあるのは誤りですのでここに注記致します)

先生は昭和9年1933年生まれ。少年期は朝鮮で過ごされて敗戦の時は命からがらの逃避行の後に帰国されたとご本人より伺いました。日本大学芸術学部に在学中より自動車デザインのお仕事に携わられ、ご卒業と同時に日産自動車にデザイナーとして入社されました。当時の日産は官僚的な社風で、殆どの社員が国立大学出身のため私学出身者は虐められたと、これもご本人から伺った話です。因みに日産自動車に私立大出身者でデザイナーとして入社されたのは先生が最初です。
その後、日産自動車第一造形課第四スタジオ在籍時に、北米日産初代社長片山豊氏の企画によるダットサンフェアレディーの後継車のデザインに関わり、この新型車は「フェアレディZ」として昭和44年1969年に発売されます。翌1970年にダットサン240Zとして米国で発売されると、たちまち空前のヒットを記録します。Z伝説の始まりです。
松尾先生には今まで二十年以上に渡り可愛がって頂きました。先生の訃報に接し何とも名状し難い悲しみを覚えます。先生には今まで沢山のお話を伺いましたが、殆どは公に出来ない様な事柄ばかりでここで紹介出来ないのが誠に残念です。いま振り返って先生の語られたお言葉を思いだしますと、非常に印象に残ってるのが2014年に日産自動車追浜工場での先生のご講演です。

もの作りに掛ける弛まないご努力と、いつまでも現役を貫いた先生の自動車に対する厳しい見方やご姿勢は、いつも私にとっての高い目標であり規範であり尊敬する人生の大先輩でありました。
S30Zのクラブを作り毎年富士でミーティングを開き、恰も当然の如く先生にゲストとして来て頂き散々お世話になりながら、何一つ恩返しが出来なかったのは誠に痛恨の極みであります。只、昨年先生がお元気で富士のZ誕生50周年記念ミーティングを開催出来たのが責てもの救いかも知れません。お目に掛かるといつもお元気そうでしたし、数年前には手術も経験されながら何事も無かったかのようにミーティングにもご参加頂けたので、まさかこんなに早くお別れする日が来るとは思っていませんでした。残念です。
松尾先生、いままで長い間本当にお世話になりました。私達に名車フェアレディZを授けて頂き有難うございました。天国で片山さんと語り合われているのでしょうか。どうぞ安らかにお眠り下さい。さようなら。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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by speedshopfalcon
| 2020-07-18 12:51
| S30